−3− 「小姐ちゃん、入るぞ。」 六太が扉を軽くノックして扉を開く。 その瞬間、部屋の中から大きな物体が飛んできた。 「うわっ!」 六太は慌ててそれをよける。 その大きさと形をみるにどうやら寝所の枕のようである。 「入らないで!」 幕のかかった寝所から少女の甲高い声が上がる。 「おいおい、いきなり物をなげるのは反則だぞ。それにわざわざ遠くから来たんだ。もっと歓迎してくれてもいいだろ?」 六太が枕を拾い上げながら大きくため息をつく。 「六太・・・なの?」 少女こと範国の麒麟氾麟は、聞こえるはずのない声に驚きの色を隠せない声で呟く。 「おぅ。小姐ちゃん、元気にしているか?」 六太は軽く手をあげると人懐っこい笑みで笑いかけた。 「・・・どうしてここに?」 氾麟が寝所を覆っていた幕を少し開ける。 その隙間から目を真っ赤に腫らした少女の姿がちらりと見えた。 「どうしてと言われても・・・」 六太はなんといってよいものかと困ったように頭をかく。 「主上に呼ばれたの?」 氾麟が尋ねる。 その声はどこか氾王を攻めているようにも聞こえた。 「あ、いや・・・たまたま通りかかったから寄ったんだよ。そしたら小姐ちゃんが部屋に篭ってでてこないって言うから心配して来てみたんだ。」 六太は氾王をかばうように、咄嗟に嘘をつく。 もしかしたら、他にも何人かを氾麟をなぐさめる為にこうして訪れさせているのかもしれない。 「そうなの・・・心配かけてごめんなさい。でも、大丈夫だから。」 氾麟が目を伏せて俯く。 言葉ではそう言っても、その姿はとても平気そうには見えない。 「なぁ、いったいどうしたんだ?部屋に篭りっぱなしなんて小姐ちゃんらしくないじゃないか?」 六太は心配そうにそう言い、幕をそっと開ける。 「ほうっておいて・・・」 しかし、氾麟は近づいてきた六太から慌てて顔をそらす。 一瞬だが、まぶたがはれあがっているのが見えた。 元々が強気な性格の為、泣いていたのを見られたくないのだろう。 「そういうわけにはいかない。氾王も心配していたぞ。」 「主上が心配されているのは知っているわ・・・」 「じゃあさ、もう元気だせよ。」 六太が氾麒の肩に優しく手をのせる。 「元気なんてでるわけがないじゃない!」 氾麟は振り返ると、その手をぴしゃりと払いのける。 「・・・それは峯麟が死んだからか?」 六太が静かに問う。 氾麟はその言葉に顔がこわばり何も言えなくなる。 「姐ちゃんらしくないぞ。」 「ほうっておいて・・・」 氾麟が体を震わせながら首をふる。 「それに、こんなことは言いたくないが、オレ達は今までたくさんの国のたくさんの麒麟の最期を見てきたじゃないか?」 「・・・そうよ、私達は今まで数多くの国の滅びを見てきたわ。それこそ、何回も繰り返しにね。」 「じゃあ、どうして?」 今更こんなことで・・・とは思ってはいけないのであろうが、500年の長き年月を生きると感覚が麻痺してくるのも確かである。 「峯麟はね、六太、失道で死んだんじゃないの。民に殺されたのよ・・・あの娘が愛してやまない、守るべき芳の民にね!」 氾麟がキッと顔をあげる。 その目には今にも流れだしそうなくらい涙が溜まっていた。 「うん・・・それは尚隆から聞いた。2人も暗君を選んだ咎で家臣に殺されたって・・・」 六太が苦しげにうつむく。 同じ麒麟が民に殺されたのだ。六太だとて悲しくないわけではない。 「ねぇ、暗君を選んだからってどうして殺されなければならないの?」 「それは、民を守れなかったから・・・」 「民を守れなかったのは王の責任じゃないの!」 そう言った氾麟の頬をぽろぽろと大粒の涙が伝う。 その表情には悔しさと哀しみが入り混じっていた。 「小姐ちゃん・・・」 「私たち麒麟は確かに王を選ぶわ。でも自分の考えで選んでいるわけではないのよ。全て天啓あってのことなの。峯麟がいったい何をしたっていうのよ!」 「じゃあ、小姐ちゃんは範が滅んだら全部氾王の責任にするのか?」 六太が淡々とした口調で問う。 「そんなことするわけないじゃない!」 「それなら・・・」 「わかってるのよ、私の言っていることが矛盾している事だってこと位。でも、どうしようもないの!」 氾麟が寝所の壁をダンッと叩く。 感情豊かな氾麟であるが、このように荒れることは珍しい。 「あの子はね、悩んでいたのよ。王のすることを止めることができない自分をずっと責めていたのよ。それなのに・・・どうして、峯麟まで殺さなければならないのよ!」 「それでも・・・結局、王を止めることができなかった・・・だから峯麟は殺されたんだ。」 六太は現実を突きつけるように厳しい言葉を述べる。 「でも、止めようとしていたのよ。私のところにも何度も相談にきて・・・それなのに・・・私があの子を助けてあげられなかった・・・」 氾麟はそう言うと、両手で顔を覆う。 しかし、指の間から溢れだす涙は止められなかった。 「小姐ちゃん、そんなに自分を責めるなって。」 六太が氾麟の頭を優しくなでる。 小姐ちゃんとなどと呼んでいても、実際は200歳もの歳の開きがある。そんな妹のように思っている氾麟に泣かれると年長者としては弱い。 「ううん、私のせいなの。あの子に適切な助言をしてあげられなかったから・・・もし、私がちゃんとしていれば、あの子は死なずにすんだかもしれないのに。」 「だから、それは小姐ちゃんのせいじゃない。」 「私のせいじゃない?じゃあ、六太は雪が死んだときにもそう割り切れたの。六太は自分のせいじゃないって責めずにいられたの?」 氾麟の言葉に六太は思わず顔をこわばらせる。 雪とは150年程前に柳国にいた胎果の麒麟である。 蓬莱から連れ戻したのが六太ということもあり、雪が蓬山にいた頃から弟のように可愛がっていた。しかし、雪が選んだ劉王の治世はわずか1年半で終わり、雪は失道の病の為、わずか14年でその短い生涯に幕を閉じた。 「どうなのよ!あのとき、六太は誰よりも自分自身を責めたんじゃないの!?」 「違う、オレはあのとき・・・」 六太はなにかをこらえるように拳をぎゅっと握り締める。 六太にとってあの記憶は未だに苦い思いがある。 「なにが違うっていうのよ!」 犯麟が六太の目を真正面から見据える。 「私のせいで芳は滅んだのよ!」 氾麟が悲痛の声で叫ぶ。 ―バチンッ!!− その瞬間、部屋の中に大きな音が響き渡った。 驚いたように氾麟が目の前に立つ六太を見上げる。 六太が氾麟の頬を平手で叩いたのである。 「自惚れるな・・・」 六太が低い声をだす。 叩かれた頬を押さえながらも、その常とは違う声に氾麟が一瞬体を強張らせる。 「お前が助言していれば芳が滅びなかっただなんて、自惚れるな!」 六太が氾麟を睨みつける。 その目には哀しみと憤りが入り混じっていた。 「オレ達麒麟に他国を救う力はない。峯麟に止められなかった国の滅びを他国の麒麟である小姐ちゃんが止められるわけないだろ!」 「でも・・・」 氾麟は叩かれた頬からゆっくりと手を放す。 「オレはあのとき、柳国を・・・雪を救うことができなかった。そのときオレは確かに自分自身を責めた。」 「なら、六太にも今の私の気持ちがわかるはずでしょ?」 氾麟の問いに六太は静かに首をふる。 「・・・責めたけど、いくら責めてもどうしようもなかった。オレが雪にもっといろいろ教えておけばよかったとか、柳国が落ち着くまでもっと尚隆に助言してもらえばよかったとか・・・。でも、いくら考えてもしょうがないんだ。死んだ雪が帰ってくることはないんだから。」 「じゃあ、どうすればいいのよ!」 氾麟がキッと六太を睨みつける。 「いつもの通りに笑っていればいい。芳麟だってその方が喜ぶ。それに小姐ちゃんが自分を責めることで、悲しんでいる者の存在がいることを忘れるな。」 「・・・主上のこと?」 「あぁ、すごく心配していたぞ。氾王のあんな気落ちした顔を見るのは初めてだ。」 「わかってるの・・・」 「え?」 六太が氾麟へ視線を向ける。 「六太が言うように、私が泣いていてもしょうがないってこと。でも、どうしようもないんだもの?自分を責める以外、私にはできることがないんだもの・・・」 氾麟はぽろぽろと涙を流しながら、震える体をぎゅっと抱きしめる。 麒麟だからというだけではない、氾麟自身が持つ優しさから日々自分を責め続けたのだろう。六太はそんな氾麟をなぐさめるようにその頬をそっと両手で包み込む。 「痛かったか?」 氾麟は俯きながらも首を横にふる。 「叩いたりして、ごめんな・・・」 六太は妹をなだめるように優しく頭をなでる。 「自分を責めるのは簡単だ。でも小姐ちゃんには他にしなければならないことがあるだろ。」 「しなければならないこと・・・?」 氾麟が首を傾げる。 「あぁ。まずは氾王に頼んで、芳の民を1人でも救ってやるように手はずを整えること。そして、もう1つ。小姐ちゃんが、峯麟をずっと覚えていてやることだ。」 六太が優しく微笑む。 「ずっと・・・覚えておく?」 「あぁ。どんなに辛くてもそれが生きているものの義務だ。嘆くことや責めることでそのことをごまかそうとしてはいけないんだ。」 「義務・・・?」 氾麟が不思議なものでも見るように六太の顔を見る。 「覚えてさえいれば、峯麟は小姐ちゃんの心の中で生き続けることができる。でも誰からの記憶からも消えたとき、峯麟はほんとに死んでしまうんだ。」 「・・・じゃあ、私が忘れなければもう峯麟が死ぬことはないのね。」 「そうだ。だから、覚えておいてやれ。小姐ちゃんの思いが峯麟を生かすことになるんだから。」 「思いが・・・人を生かす?」 「そういうこともあるだろ。」 六太がにっと笑う。 その笑顔には500年生きてきた者の強さが感じられた。 「そうね・・・六太、ありがとう。」 氾麟もつられて小さく笑った。 それは芳が崩壊してひと月ぶりの笑顔だった。 |