−4− 「ただいま・・・」 六太が尚隆の執務室の扉を開けて静かに入ってくる。 窓から入ってくることが常であるはずの六太のその行動に、真面目に執務をこなしていた尚隆が驚いたように書類から顔をあげる。 「今、戻ったのか?」 「あぁ、たった今な。」 「・・・随分遅かったが大丈夫だったか?」 「オレ1人を生贄にだしておいて、今更心配か?」 六太が上目遣いで尚隆を睨みつける。 1人で範に出向いたのも、尚隆にうまく逃げられたからに他ならない。 「そういうな、六太。オレとてお前を1人で行かせるのは身を切り刻むような想いだったのだぞ。」 尚隆がわざとらしく悲痛な顔を六太へと向ける。 「嘘をつくな、嘘を。」 六太はひらひら手をふると、疲れたようにどかりと長椅子に座り込む。 心なしか顔色もよくない。長旅の影響もあって相当疲れているのであろう。 「それで、なにかあったのか?」 尚隆はその様子を見て取ると、からかうのをやめて本題に入る。 帰ってすぐにこの部屋を訪ねたということは、なにか聞いて欲しいことでもあるのであろう。しかし、意地っ張りな雁国の麒麟は本当に聞いて欲しいときなどは促がしてやらないと自分から話をしてくれないことがある。 「いや、別に。お前が王じゃ苦労しているだろうからってさ、氾王がオレの為に慰労会を開いてくれたんだよ。」 「慰労会?」 なんだそれは?と尚隆が訝しげな目を六太へ向ける。 「あぁ、お前の悪口でずいぶん盛り上がったぜ。尚隆がどれだけ暗君かってな。おかげでこんなに帰りが遅くなっちまった。」 「・・・嘘をつくなと言ったのはお前ではなかったか?」 尚隆が大きく息をつく。 「どうして嘘だと思うんだよ。あの範のことだ。お前への嫌味の為に慰労会をしてもおかしくはないだろ。」 「まぁ、そう言われると否定はできんが・・・でも、今回は違うな?」 「だから、どうして!」 六太は見透かされているような尚隆の態度に苛立たしげに声を荒げる。 「そんな楽しそうな会に参加してきた奴が、こんな暗い顔で帰ってくるはずないからな。」 「・・・・・・オレ、そんなに暗い顔してるか?」 六太が自身の顔をぺたぺたと触ってみる。 そして、特に普段と変わった様子はないじゃないかと小声で呟く。 「触ったところでわかるものか。お前はすぐ表情にでるからな。で、どうした?」 尚隆は優しい声でそう言うと、椅子から立ち上がり六太の正面に座りなおす。 「・・・小姐ちゃんが、芳の一件で落ち込んでいたからなぐさめてきたんだ。」 六太がうつむきながらぼそりと声をだす。 「そうか・・・それで氾麟は元気になったのか?」 氾麟と芳麟が普通以上に交流があったということは以前から聞き及んでいる。 芳の一件と聞いて尚隆はそのことに思い至ったのである。 「あぁ、なんとかな。」 六太はこくりと頷く。 「しかし、慰めに行った方がそんなに落ち込んで帰ってきてどうする。」 「落ち込んでいるわけじゃねえよ。ただ・・・」 「ただ?」 尚隆が話の先を促がす。 「なんか、いろいろと考えちゃってさ。」 「峯麟のことか?」 「うん、それもあるけど・・・まぁ、いろいろとな。」 六太が小さく笑う。 しかし、その笑顔にはいつもの元気はなかった。 「安心しろ、オレが暴君になってもこの国の民はお前を殺したりはせんよ。まぁ、オレはあいつらに殺されるかもしれんがな。」 尚隆が笑いながら六太の頭を軽く叩く。 「そういうことは言うな!」 六太はその手を振り払うと、怒ったように尚隆を睨みつける。 決して自分が殺されるのが怖いわけではない。そこまで民や臣に憎まれるというのが怖いのである。まして尚隆が殺されるなどとは考えたくもない。 しかし、六太が範国からの帰り道ずっと考えていたことはそのことではなかった。 「では、何をそんなに考える?」 尚隆がそんなに怒るなとばかりに六太の顔をのぞきこむ。 「・・・どうして天は王に相応しくない者を選ぶんだろうなって思ってさ。」 「誰もが最初から王に相応しいわけでもあるまい。」 「そうだけどさ・・・それでもあきらかに王に向いていない者がいるのは確かだろ。」 「たとえば、隣国の景王か?」 尚隆が具体的に名前をあげる。 今の景王は女王ということであるが、政務もせずに部屋にこもってばかりいると、あまりいい話を聞かない。もともと裕福な商家の出の引っ込み思案といってもいいほどのおとなしい娘であった。麒麟に選ばれるまでは国の将来のことなど考えたことはないのであろう。そんな娘にいきなり臣の上に立ち、国を動かせというのが無理な話である。 噂では景麒が失道するのも時間の問題だという。 「景王もそうかもしれないけど・・・雪のときもそうだった。あいつの王も王にさえならなければもっと幸せに暮らせたんじゃないか?もっと別の生き方があったんじゃないか?」 六太は震える手をぎゅっと握り締める。 雪の王、劉王は柳国の官吏の1人だった。麒麟に選ばれる前はぬきんでた働きもなく、下働きともいってもいい程の下官であったが、妻も娘もあり日々を幸せに暮らしていた。しかし、そんな能力もない下官が王になったことに対する妬みから、妻子を殺され、それがきっかけで暴君へと化した。 あのときの出来事は150年が過ぎた今でも六太の心から消えることはない。 「そんなことを言ってはきりがない。」 「わかってる。でも、オレにはわからないんだ。」 「お前にわからぬ天意がオレにわかるわけがあるまい。」 麒麟は天の天啓をうけて王を選ぶ。 その点では麒麟は王よりも天意に近い位置にいることになる。 「それはそうかもしれないけどさ・・・」 六太は口ごもる。 「だがな、六太。最初から王にふさわしい人間なんて、実は1人もいないんだ。女が子供を育ててはじめて母親になるように、王も民を育てて初めて王になるんじゃないか?」 「民を育てて、初めて王になる?」 六太は顔をあげると、まっすぐに尚隆の顔を見つめる。 六太を諭すように語る尚隆の顔は、王という名にふさわしい優しさと威厳に満ちていた。 「王とはそういうものだ。簡単なものではない。」 「でも、お前は・・・」 六太には尚隆は生まれながらに王という気質をもっていたように感じていた。 この男は民を慈しみ、人を動かすということをよく知っていた。 「オレだってただの小さな島国の頭領にすぎない。しかも、その役目も果たせんほどの小さな男だ。」 「そんなことない。あれはお前のせいじゃない!」 六太は慌てて首をふる。 蓬莱で滅びの寸前まで国を持っていってしまったのは尚隆の父親であり、尚隆自身の責任ではない。 「何百もの民が死んだのだぞ。それがオレのせいでなくてなんだというんだ!」 尚隆が珍しく声を荒げる。 この男にとって、あのときの出来事は過去の思い出として片付けられるものではなかったのであろう。 六太は思わず首をすくめる。 「だがな、六太。オレにはもう1度やり直す機会があった。お前が与えてくれた機会がな。だからオレはこうして今も生きることができる、この国の王としてな。」 「尚隆・・・」 「生まれながらの王などどこにもいない。しかし、選ばれた以上は自分の子供である民を放りだすことなく、慈しみ育てる。それで初めて王と呼べるのではないか。」 最初から王として生まれてきた者など1人もいないんだと、尚隆が小さく笑う。 「じゃあ、間違いじゃなかったんだよな。雪が劉王を選んだのも、峯麟が芳王を選んだのも・・・」 「あぁ。ようはその後、その者達がどうするかだ。」 「そうか・・・」 「それに、王を選ぶことが麒麟の役割のように言われるが、それは違うな。選んだのち、その王をいかに支えられるかどうかがお前たち麒麟の本当の役割というわけだ。」 「じゃあ、オレもお前の支えになっているのか?」 自分はこの王の力になれているのであろうか? 迷惑ばかりかけてきたのではないか? 六太は不安な思いを押し隠すこともせずに尚隆を見上げる。 「もちろんだ。お前がいないとオレは困る。」 「ほんとか?」 尚隆の言葉に六太が嬉しそうに身を乗りだす。 500年も一緒にいるがこんなことを言われたのは初めてだった。 「あたりまえだ。立ち上がるときにちょうどいい高さに頭があるからな。500年、助かっている。」 「は?」 その言葉に六太の動きがぴたりと止まる。 「それに、お前がいないと官の怒りの矛先がオレばかりに向いてしまう。これは実に困る。」 尚隆は大きく腕を組むと自分で納得するようにうんうんと頷く。 「あとは蓬莱の物が手に入らなくなるのも困るな。あちらの文明の利器というものはなかなか使えるものだ。」 「・・・・・・言いたいことはそれだけか?」 六太が怒気のこもった声をだす。 その手にはどこから持ってきたものか、鉄扇が握られている。 「ま、待て、六太!そんなものをどこから・・・」 尚隆がぎょっとして六太の手の中にある鉄扇を見る。 あの鉄扇の威力は誰よりも尚隆がよく知っていた。 「氾王にお礼にって持たされたんだ。なんの使い道もないと思っていたけど、持たされた意味が今ようやくわかった。」 「落ち着け、六太。麒麟は慈悲と慈愛の生き物ではなかったのか?」 尚隆が立ち上がり、2、3歩あとずさる。 「時と場合と・・・・・・人による。」 「人は関係ないだろ?」 「お前に与える慈悲はない!」 六太はそう言うと、尚隆に向かって鉄扇を振り上げる。 尚隆は思わず両腕で頭を覆う。 ・・・しかし、予想に反して、鉄扇が飛んでくることはなかった。 尚隆は恐る恐る頭を覆っていた腕をはずし、六太を見る。 「・・・今回は許してやる。」 六太は振り上げた鉄扇を静かに下におろすと、すたすたと扉へ歩いていく。 尚隆がわざと突っかかるようなことをいうのも、全ては六太を元気付ける為だとわかっていたのである。 「その代わり・・・」 六太が扉に手をかけて振り返る。 尚隆が「ん?」と首を傾げる。 「簡単に王をやめるなよ。」 「なに?」 「飽きたときはオレにいえ。飽きないようになにか方法を考えてやる。」 六太はそう言うと、扉を大きく開け、廊下を歩き去っていった。 「飽きない方法ねぇ・・・オレはお前をみているだけで十分飽きないがな。」 尚隆はゆっくりと閉まる扉を眺めながら部屋の中で小さく微笑んだ。 END |