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「ただいま〜」


六太が尚隆の執務室の窓から堂々と入ってくる。
一国の宰補である麒麟が窓から出入りするなど他国ではありえないことも、ここ雁国ではすでに通常の光景となっていた。
しかし、今日は中にいた人間の様子がいつもと違っていた。


「おい、六太・・・お前、なにをやったんだ?」
突然、尚隆にそう声をかけられた六太は、窓枠から飛び降りるとそこでぴたりと動きを止める。

「台輔もいよいよ年貢の納め時なのかもしれませんね。」
「だが、自業自得ではないのか?」
「そうですね、みかけは子供ですが中身は立派なおとなですからね。」
「自分でやったことは自分で責任をとってもらわんとな。」

尚隆の対面に立っていた、2人が口々に言い放つ。
この2人こそ雁国を支えているといってもいいほどの重鎮、朱衡と帷湍である。


「な、なんなんだよいったい!オレ、なんかしたのか?」
身に覚えのないことを言われ、六太が不安げな声をだす。
「それはこちらのセリフです。」
「だから、なんなんだよいったい!」
苛立ったように叫ぶ六太に、尚隆が卓の上から一枚の紙を手に取り、「これだ」と目の前に差しだした。
「これって・・・なに?」
六太が訝しげに差しだされた紙をのぞき見る。
そこには繊細さの中にも力強さを感じるような美しい文字が綴られていた。
達筆といっても過言ではない。しかし、六太はこの文字に見覚えがあった。

「どこかで見たような字だな。」
「範からの書状だ。氾王がお前に大至急、範に来いと書いてきている。」
「氾王が!?」
六太が驚いたように尚隆の顔を仰ぎ見る。
差出人が氾王であるなら、文字に見覚えがあったのも当然である。
当人達は不本意ながらも、産業の関係で雁と範は300年近い付き合いがある。


「お前・・・あいつになにかしたのか?」
尚隆は大きなため息をつく。
相手は尚隆の天敵といっても過言ではない氾王である。
できることならこの問題には関わりあいたくはないと思っているのだろう。

「なにもしてない!だいたいどうして氾王がオレを?お前の間違いじゃないのか?」
「いや、正真正銘お前宛だ。」
尚隆が封書の表書きを指差す。
そこには“雁州国宰補延麒様”と確かに綴られていた。

「だいたい氾王がオレに何の用だっていうんだよ。」
「それがわからんから皆でこうして首を捻っておるのだ。だが、いくら考えてもわからんので、お前が範でなにかよからぬことをしたのだろうということで話が落ち着いた。」
尚隆の言葉に朱衡と帷湍も大きく頷く。
「勝手に話を落ち着けるな!だいたい、オレは範になんて最近行ってないぞ。」
「では、今回はどちらへ行かれていたのですか?」
朱衡が非難がめしい目を六太へ向ける。
その目には3日間政務をさぼったことに対する、怒りの色が浮かんでいた。

「いや、だから範じゃなくて、ほう・・・」
言いかけて六太は慌てて口をつぐむ。
「ほう?」
「あ、いやなんでもない。とにかくオレは知らないからな。」
六太は慌てて手を振る。
雁国外に勝手に出るのでさえ怒られるのに、蓬莱にまで渡っていたなどと知れたら一月は城に監禁されること必至である。

「そう言われましても、仮にも一国の王からの書状ですからね。無視することもできません。」
「それに相手はあの氾王だしな・・・」
帷湍も考え込むように腕を組む。
尚隆だけでなく雁の家臣たちでさえも氾王の怖さは身にしみてわかっているのだろう。

「六太、とりあえず行ってこい。」
尚隆が六太の肩にぽんっと手をのせる。
「尚隆、お前、自分が呼ばれてないからってずるいぞ!」
しかし、六太は尚隆をキッと睨みつけ、その手を邪険に払う。
「ずるいもなにも、呼ばれていないものは仕方ないだろう。」
「そういう冷たいことをいうと麒麟の信頼をなくすぞ。」
「勝手になくせばいい。」
氾王と関わりになる位なら六太の機嫌を損ねることなどはどうということもないと思っているのか、尚隆はなげやりに答える。


「じゃあさ〜尚隆も一緒に行こうぜ。」
頑なな態度を崩さない主人を見て作戦を変えることにしたのか、六太は尚隆の袖の端をひっぱり甘えるような声をだす。
「残念ながらオレはたまった仕事を片付けないといけないのでな。」
尚隆はそう言うと、卓の上にある書類を自慢げに叩く。
しかし、それは王として決して自慢できるようなことではない。
「普段は平気で溜め込んでるくせに・・・こういうときだけ真面目なふりをするな!」
「オレはいつでもまじめだが。」
「じゃあ、オレだって仕事が溜まってるから行かない!」
なんといっても3日も留守にしていたんだからなと、得意げに胸をはる。
こういうところは似たもの主従である。

「六太、その点は大丈夫だ。」
尚隆が安心させるように六太の肩をぽんっと叩く。
「大丈夫?」
それはどういうことだと、六太が首を傾げる。
「お前の仕事は少しも溜まってはいない。」
「溜まってない?」
「はい。氾王からの書状を見た主上が、台輔の3日分の仕事を全て終らせてしまいましたから。」
朱衡がさらりとそう言い、離れたもう1つの卓を指差す。
そこには決済済みの書類が山と積まれていた。
「な・・・」
六太がその束を手に取り絶句する。
確かに六太が決済しなくてはならない書類が全て片付いていたのである。
「ものすごい速さで片付ていたぞ。普段もあの位働けばいいものを・・・」
帷湍があきれたように尚隆の顔を見る。

「だが、お前の仕事をやったおかげで、オレの仕事がたまってしまってな。だからといって王の仕事を台輔にやらすわけにもいかんからな。」
「汚いぞ、尚隆!」
六太がキッと、尚隆を睨みつける。
「汚い?お前の仕事を肩代わりしてやってやったんだ。むしろ感謝して欲しいくらいだ。」
尚隆が肩をすくめる。

「誰が、感謝するか〜!!」

六太は声を震わせながら叫ぶ。
あきらかにこの男にはめられたとしかいいようのない状況である。

「とにかく台輔、書状が来たのは2日も前なのですから、お早く出発なさって下さい。」
「そうだ、あまり遅れては雁の面子にもかかわる。」
「やっぱり行かなきゃだめ?」
六太が甘えるように可愛らしく上目遣いで朱衡と帷湍を見上げる。
その仕草に騙されているとはわかりつつ、つい許してしまう官吏がこの王宮には多数いる。
しかし、そんな手も最も古いつきあいになる2人にはきくはずもなかった。

「「だめです!」」

有無もなく2人に切り捨てられ、六太は大きく肩を落とした。



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